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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和46年(う)58号 判決 1972年1月27日

被告人 中野正美

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金四万円に処する。

被告人において、右罰金を完納できないときは、一日を金一千円に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、金沢地方検察庁七尾支部検察官高野武夫の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用するが、所論は要するに、本件事故について、被告人はその運転する大型貨物自動車(以下車と称す)を後進するに当り、後進路上で作業中の作業員の動静に注意し、その避譲を促がす等して発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたのに、これを怠つた被告人に対し、かかる注意義務がなかつたとして無罪を言渡した原判決は刑法二一一条の解釈適用を誤つたものであるから破棄を免れないというにある。

よって審案するに、後記証拠標目欄記載の各証拠を綜合すると

(一)、本件事故現場道路は既設の農道を拡幅したものであるが本件事故発生当時は一般人の通行は殆んどなく、米町川災害復旧工事を請け負つた国部建設株式会社の作業員等が工事施行のため専ら使用していた状況にあつたこと、

(二)、被告人は本件作業現場から土砂を積載して運び出す作業に従事していた四台の車の内の一台の運転者で、各車は土砂の積載をするに当り約二〇〇米後進するのを常としていたこと、

(三)、同後進道路は見透しを妨げるもののない緩やかなカーブ状であつたが、路肩は軟弱で運転者は車を後進させるに当り車輪を既存の轍から外さない様に注意をしなければならない状況にあつたこと、

(四)、被害者中川乙松(以下中川と称す)は大池伊次(以下大池と称す)と共に、同道路の補修作業に従事していたが、そのかたわら、車に土砂を積載する地点が移動する場合には、車の発進を容易にする為に両轍に一〇枚宛敷いてある鉄板(長さ約一米弱・巾約六〇糎・重さ約三〇瓩)を移動する作業に従事していたこと、

(五)、同鉄板を移動する方法は、同人等において車の到着する合間をみて鉄板を裏返し後ずさりに引つぱつて動かすか、作業現場の移動の方向から、その作業は後進して来る車に背を向けて行う状況にあつたこと、

(六)、同人等は、その作業と関連して、時には車の後進を誘導した事実はあつたが、車の後進誘導用員とは認められず、他に労働安全衛生規則一六三条の一四の二によつて配置を義務づけられている後進誘導者が配置されていなかつたこと、

(七)、本件事故当時は、中川等が作業していた地点の横にはユンボが運転されており、その運転音が大きいので、後進して来る車の運転音はそれに消されると共に中川は元来稍難聴である上に当時は吹雪をさけるため耳をおおう防寒帽を着用していたので、車の運転音は聴き取り難い状況にあつたこと、

(八)、被告人は本件事故に先立ち中川と大池がユンボの横路上にいるのを認めた上で後進を開始し、同人等の約二七米手前に迫つた際にも、尚同人等が被告人の後進路上にいることを認めたが、同人等において避譲してくれるものと考え、それ以上の注意を払うこともなく、従つて警音器の吹鳴等による警告をもすることなく、只右後車輪が轍外に外れないことに専念して後進を続け、折柄作業中の中川を左後車輪で轢過したものであること、

(九)、一方被告人の後進時には、本件事故現場において、中川は左轍側の、大池は右轍側の各鉄板を分担して、夫々車に背を向けて移動する作業をしており、事故発生時においては後一・二枚の鉄板を移動することにより、その時点における鉄板の移動を終わる状況にあり、被告人の運転席から容易に見透せる右轍側の大池も本件事故に至るまで作業を継続していたこと、

(一〇)、本件被告人の後進にあたつては車の後進を誘導した者はなかつたこと、

(一一)、被告人運転の車にはバックブザーの装置は取付けてなかつたこと

が認められる。

右事実によれば本件道路は事故当時においては、前記工事関係者のみが占有使用していたと同視すべき状態にあつたのであるから、車の後進をするに当つての被告人の注意義務は一般公衆の通行する道路上における運転者のそれに比べて相当軽減されるが、ユンボの近くにいる作業員は車の運転音によつては車の接近を認識することが困難であり、殊に鉄板の移動作業中には車の接近を視認し難い状態にあつたのであるから、車の運転者としては安全を確保するために、後進する際には同作業員等の位置・作業内容・その動静等に注意し、同人等の安全確保のために車の近接を認識していない作業員等に対し警告等適宜の措置を講ずべきであつたと解するのが相当である。若し、被告人において後退の際、今少し注意をすれば中川等が鉄板移動作業に従事していたことに気付き、後進するに従い左轍側で作業していた中川が死角内に入つても、被告人の運転台から見透しのできる右轍側で大池が作業を続けていたことから中川も作業を続けていることを容易に推測できるので、警音器を吹鳴する等して車の接近を警告し同人等に避譲を促がしておれば、本件事故を回避できたと認められ、右の程度の注意は被告人において車輪を轍外に外さないよう留意しながら、容易になし得たものと認めるのが相当である。

しかるに中川等が後進路上にいることを認識しながら、前叙の注意を全くしなかつた被告人は自動車運転者としてなすべき注意義務を怠り本件事故を惹起するに至つたというの外はない。

これを中川等に専ら後進車を避譲すべき義務があり、被告人は中川等の避譲を信頼して後退すれば足りるとした原判決は刑法二一一条の解釈適用を誤つたものであるから破棄を免れない。

よつて、本件控訴はその理由があるので刑訴法三九七条一項、三八〇条に則り、原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但書により当審において更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四五年三月二〇日午前八時四〇分ころ、石川県羽咋郡志賀町字梨谷小山地内米町川左岸災害復旧工事現場附近道路(巾員約三米)を大型貨物自動車を運転して北方から南方に時速約五粁で後退しようとした際、後方路上に中川乙松(当時五〇才)外一名がいることに気付きながら不注意にも同人らが自車の接近に気付き避譲してくれるものと軽信し、同人らを避譲させる措置をとらず、かつその安全に留意せず、道路巾員が狭隘にして路肩が軟弱なところから右後輪のみに気をとられ、漫然前記速度で後退した過失により、右中川に自車左後部を衝突させて転倒させ左後輪で同人の頭部を轢過し、よつて同人に対し頭蓋骨々折の傷害を与え、同日午後九時五五分同郡高浜町所在加藤病院において死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二一一条前段罰金等臨時措置法三条に当るので、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金四万円に処することとし、被告人において右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金一〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審および当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

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